オンライン報告書 - 2008 年 訪日企画 - 文化紹介 2

古典バレエ

私は古典バレエについて話したいです。バレエはとても綺麗な芸術のひとつです。音楽、踊り、演技はすべてとても大切です。バレエにはストーリーがあります。人の生活についてダンスで見せます。バレエは 16 世紀にイタリアで生まれました。はじめは短い場面だけでしたが、フランスで豪華な上演になりました。

ロシアでは、最初の上演が 1673 年に行われました。外国人のリーマは、モスクワの近くにザーのために準備しました。リーマにははじめ 10 人の生徒がいました。すぐリーマの一座は大きくなりました。

1730 年にランデとリナリデはサンクトペテルブルグでバレエの上演をしました。ランデはペテルブルグで最初のバレエ学校を開きました。現在それはワガノワのアカデミーという名前です。ロシアのダンサーも、作曲家も、とても才能のある人ですから、バレエはロシア人の間でとても人気となりました。チャイコフスキーとグラズノフはとても有名です。

今ロシアのバレエはいろいろな国で楽しまれています。

ロシアを救った笛

十三世紀、昔のロシアにモンゴルの軍隊は侵入しました。モンゴルは一つのルーツの村 (Дымково) にきて攻められました。そのルーツの村を守るものがなくて、自分でやってみました。それで、原住民は飢饉と水不足に悩んで、何かいい考えを想いました。

みんな住民で集まって粘土を探しに行きました。その粘土から笛を作ろうと思いました。二日間この笛を作って、乾いて、焼きました。次の日みんなに村の中心で集まって来て、みんなで口笛を吹きました。

あのときモンゴルの軍隊は囲んだ村に誰か助けてあげる軍隊が来たと思いまして、驚いて、逃げ出しました。

そうやって、笛は住民に手伝いました。

ロシアの作家

私は一ばんゆうめいなさっかーについて話したいです。ロシアでエセニムさんはとてもにんきがあるのだと思います。かれはリャザンのちかくにうまれました。リャザンのクレムリンのちかくにきねんひがあります。リャザンへ行けば、そのきねんひを見て下さい。

そしてわたしはトルストイについて話したいです。トルストイはとてもゆうめいな作家です。「せんそうとへいわ」という本を書きました。トゥラと言う町のちかくにトルストイはこさくのうのために小学校をつくりました。かれは学者でした。あるてつがくのいけんは「せんそうとへいわ」と言う本と「アンナカリニナ」という本にはんえいされました。

アーラ・プガチョーバ

私の国で今有名な人はアーラ・プガチョーバである。アーラ・プガチョーバは歌手である。1949 年に生まれ、来年 60 歳になる。この偉人は音楽に人生のほとんどをささげている。彼女は 16 歳の時初めて舞台に出た。ハスキーな声で観客をみわくし、すぐ大変な人気になり、世界中で認められた。年に関係なく、プガチョーバと同年代の人々を始め、若者も彼女の歌が大好きなようだ。したがってプガチョーバは舞台の女王と呼ばれている。どの家庭にも彼女の CD やテープがある。プガチョーバは日本でいう美空ひばりのような人だ。彼女は人気がある時もない時も仕事に対して熱心だった。プガチョーバは数えきれないほど多くの曲を作った。また彼女は自分の歌手としての活動のかたわら若い歌手の育成もしている。プガチョーバの笑い声はロシアの歌番組に欠かせない。彼女には娘が 1 人いる。娘は母の足跡をたどって歌手になったが、歌手としてプガチョーバほどの成功をおさめなかった。アーラ・プガチョーバは私生活でも男の人から人気があり、4 回も結婚し、いつも違う男の人と一緒に同棲していた。

私は彼女がうらやましい。そんなにきれいなわけではなく、むしろ太っているのに男の人にもてるのは、ようきな性格のおかげである。彼女はいつも世間に衝撃を与える。人々は彼女の服装、特に短いスカートと体形の変化に注目している。彼女は 59 歳であるにもかかわらず、若い歌手たちよりも世間をにぎわせている。彼女は今では国民的英雄になっている。

*彼女の歌う「百万本のバラ」は、日本でも有名である。

神礼祭

Крещение というのは正教教会の祭りです。この祭りは 1 月 19 日に祝われます。18 日の夜から信者が教会に集まり始めます。正教礼拝はたくさん時間がかかります。夜 12 時から集まった人々はみんな川に行きます。川の氷で特別な (適当な) 礼拝が行われて、氷で穴を作ります。それからみんなは穴に飛び込みます。1 月 19 日外の温度は -40C で、水の温度は 0 度です。人々はこの飛び込む習慣のおかげで神様は全部の罪を免除します。(この習慣により、神様はすべての罪を許すと信じられています。)

この習慣は聖書の伝説から始まりました。その伝説によってイスラエルにあるイオルダンという川に聖イオアンはクリスト様に洗礼を施しました。現代信じる人にとって、この礼拝は復活という意味をなしています。

バーニャ

バーニャとは昔から伝わってきて、今も有名なロシアの伝統的なお風呂です。私の個人的な意見ですが、もともとロシアのバーニャと日本のお風呂の意味は同じようだったのでしょう。まず、身体を洗うところなのですが、次に病気から身を守るところとされていました。現在もその意味が残っていると思います。最近、バーニャに入るのはだいたい夏ごろで、郊外のダーチャの遊びとしてされています。夏が来る度に、家族揃って、ダーチャへ行きます。私の家族も例外ではありません。まず、バーニャに入って、一時間ぐらい身体を温めています。白樺の枝で作られた箒はバーニャの特徴の一つです。バーニャに入って、お互いをぱちぱちと箒でたたいて、汗をかかせて、気持ちがすぐ良くなって、健康にとてもいいこととしてされています。それだけではなく、バーニャに入るのは本当に一石二鳥なのですね。汗をかくと、やせる可能性も加わるというわけです。ところで、その時、誰かが一人ロシアの焼肉、シャシリックを作ってくれたら、バーニャを出て、シャシリックを食べると、気持ちいいですね。皆さん、是非ロシアに来て、そのパターンで休みましょう。

ロシアの伝統工芸

ロシアにはいろいろな国民的な農業の物があります。これはヂィームコフスカヤ・イグルシカ,グゼェリ、ホホロマ、ゴロヂツカヤ・ロスピースなどです。

1.Дымковская игрушка.

これはロシアには一番古いさいしゅです。これは Дымово の田舎にあります。その事は特別な祭日です。「свистопляска」と言う祭日です。捧げられました。一番大切なことは свистульки です。色々な形があります。例えば、熊、カギ、羊、鹿などです。

19 時代に、その祭日は人が多いので定期市に変わりました。製造の方法はとても簡単です。

Хохлома (ホホロマ)

Хохлома は小さい田舎の名前です。人々は色々なものを製造しました。木から茶器も台所の утварь も木から製造しました。いつも Хохлома はロシアで人が多いでした。アジアも、ヨーロッパも多いでした。製造の方法は難しいですが、面白いです。

Жостовские подносы

モスクワの近いの「Жостово」と言う田舎があります。14 時代のときはお茶はとても人気でした。ですから茶道がありました。その茶道の時サモバール (Самовар) とかオボンも使いました。そのオボン (茶碗) に色々な花を書きました。色々はサイズと形でした。今もそんなオボンを作ります。

ロシア正教におけるイコン

ロシアの主な宗教はロシア正教です。ロシア人の多くは神を信じています。ロシア正教における主な特徴はイコンです。イコンは聖なる人々や神の偶像です。

イコンは教会や家に置いてあるのはもちろん、かばんの中に入れて常に持ち運ぶこともできます。

イコンは独特です。まずその例として、見え方の逆転が挙げられます。つまり、遠くにあるものの方がより大きく見えるということです。

イコンに描かれている人々は皆、特有の衣装を身につけ、特別なポーズをとっています。

最も古いイコンは 6 世紀に描かれました。

イコン画家としては、ルブレウが最も有名です。彼は 15 世紀に多くの美しいイコンを作りました。

イコンの誕生について次のような伝説があります。

ヴェロニカというハンカチを女性がキリストに渡しました。キリストはそのハンカチで顔を拭いてからヴェロニカにハンカチを返しました。すると、ハンカチにはキリストの絵姿が映っていました。

このようにして神聖な人々を描くという発想が生まれました。

初めのロシアの昔ばなし

はじめのロシアの本はいつわとたとえばなしです。人々は書けなかったのでお互いに昔ばなしを話しました。だから、いつわの作家はみんぞくです。その昔ばなしをよくつたえたから、意味がかわりました。

全部の昔ばなしではいいヒーローが最後に勝ちます。ある昔ばなしでおもなヒーローはロシア人のせいかくを見せます。たとえば、Млья Муромец というおもなヒーローは強くて、親切です。かれはりそうてきなロシアのだんせいのせいかくがあります。Млья Муромец はロシアの神です。かれはそこくをほごして、全部のてきに勝ちます。

ほかの昔ばなしはたとえばなしです。そのさくひんも作家がありません。たとえば、「とんぼとあり」、「からすときつね」です。たとえばなしでは動物の生活についてものがたります。動物のおこないは人のようです。そのたとえばなしでは悪いふるまいをひなんして、いいふるまいをほめます。それぞれ動物は自分の特ちょうがあります。たとえば、うさぎは気持ちが小さいです。くまはいつもがさつです。きつねはずるいです。たとえばなしは小さいさくひんです。それで親切なことはいつもあくに勝ちます。

ロシアの昔ばなしはとてもおもしろいと思いますから、もっとロシアの本を読んでください。

ロシアのアニメーション

第一のアニメーションは 1912 年にされました。この年からロシアのアニメーションの歴史が始まったといわれています。

たくさんの有名なアニメーションはソビエト時代のとき、創造されました。一番有名なアニメーションスタジオは Союз Мультфильм と Экран のでじた。

大祖国戦争のとき愛国的なアニメーションは人気がありました。1960 年からアニメーションがちょっとかわりました。人形を使うアニメーションがあらわれました。たとえばゆうめいな Чебрашка です。そのときたくさんアニメーションのシリーズがあらわれました。一番ゆうめいなのはНу Погоди というアニメーションでした。私は子供のときそのアニメをとても好きでした。

今は Союз Мультфильм スタジオはアニメを創造します。2004 年と 2006 年に昔話のアニメを創造して、子供たちはとても好きになりました。

それから、ロシアの Чебурашка は今外国人に人気があります。それはすごいことだと思います。Ну Погоди はディズニーの Tom and Jerry とほとんど同じ説があると思います。でも Ну Погоди でおおかみはうさぎをつ構えています。

ロシアの有名な作家

プーシキンはロシアで一番有名な作家です。1799 年に生まれました。彼は少年時代にいつも珍しい言葉を作り出していました。友達は少なくて、近所の友達とけんかをしてからは長い間誰とも話さなかったこともあるそうです。プーシキンの趣味は外国語を勉強することでした。彼の一番有名な作品は「大尉の娘」です。ロシア人はプーシキンの作品が大好きです。日本人のみなさんにとってはどうですか?

次に、ドストエフスキーについて話します。彼にはたくさんの友達がいました。いつも外で遊んでいました。彼のお母さんは「うちの子供はわんぱくだ」と言っていました。ドストエフスキーはよくけんかもしていました。彼の一番有名な作品は「罪と罰」です。皆さんは彼らの作品を読んだことがありますか?