オンライン報告書 - 2005 年訪ロ企画 - ホームステイ
トゥルーシュキナ家 (リャザン)
ホームステイをした学生:A. K.
受け入れた学生:リーザ・トゥルーシュキナ
ホームステイをして

リーザの家でステイしたことがロシアでの最高の思い出の一つになった。
最初にリーザの家に行った時は、私は長旅を終えた後でとても疲れていたし、リーザの家の周りがなにもかもで真っ暗で私は少し怖がっていた。その時はサーシャもいて、二人で私に「でも安全だから心配しないで」と言ってくれた。でも、真っ暗な中でリーザの家のある建物の中に入るとエレベーターが故障していて、私は大きなトランクケースを持ったまま完全に途方に暮れていた。
すると、階段の遥か上から声がして、きれいな女性がにこにこしながら駆け下りてきた。リーザのママだった。リーザのママは簡単に挨拶を済ませると、たった一人で私のスーツケースを抱え、家のある 7 階までハーハー言いながら、持ってあがってくれた。「Мама! Спасибо!」これが私のほぼ最初のロシア語で、この日以来リーザのママのことを「ママ」と呼んだ。
ママはリーザとよく似ていて、とても美人でかわいらしかった。料理の上手なママはいつも私においしいロシア料理を食べさせてくれたし、ダンスとアバ (グループ名) を好きなママは台所で踊っていた。ママはロシア語が上手でない私のために英語で話そうと努力してくれていたし、日本の文化についても大きな興味を示してくれて私を楽しくしてくれた。
私はこののりでリーザのパパのことも「パパ」と呼んだ。パパはドイツ語はぺらぺららしいが英語はしゃべれないので、私との共通語がほぼ一切ない、という事態であったにもかかわらず、どんなときでも必ず「A さん、is it alright?」と言ってくれて、私はそればっかり聞いてくれるパパが大好きだった。
私はもちろん、リーザのおばあちゃんを「バーブシカ」と呼んだ。バーブシカとの共通語もほぼないに等しかったが、バーブシカは大きなジェスチャーをつけて楽しい昔話を子供に言って聞かせるかのように私に話してくれたので、私はわからなくても自然とにこにこしてしまった。とても楽しかったのだ。でも、ステイの後のほうでは、私は 10% の語彙力と 90% の想像力でバーブシカの言っていることも理解できたので、ちゃんと話の内容に笑えた。
私はリーザの家の全てと仲良しになった。それは犬や猫たちだけでなく、トイレの鍵のかけ方のコツや、スリッパを置くところ、バルコニーから見る景色、リーザの部屋・・・とにかくすべてが温かかった。すべてが私を温かく包み込んでくれて、今でも夢に見るほど愛おしい。
そして、そのような家で育ったリーザは本当に素敵な女の子だった。心が純粋で、いつも日本語をできるだけ話そうとしていたし、大好きなうわさ話をしているときの笑顔がかわいくて、でも、涙もろくって、私はそんなリーザが本当に大好きになった。あのリーザの家での 5 日間をとても全ては言葉に表現できないけれど、一つだけは必ず伝えたい。本当にありがとう。ママが言ったようにまたきっと会えると信じています。
ホームステイを受け入れて
A が私の家にやって来る前、私は少し不安でした。彼女がどんな人で、何が好きか、などということがわからなかったからです。しかし、A と接するのはとても簡単だということがわかりました。A は社交的でフレンドリーな女の子です。しかしそれと同時に、彼女はとても礼儀正しくて、よく気が利くのです。そのような気質が彼女の性格と合わさって、私たちのコミュニケーションを全く疲れないような楽なものにしてくれたのです。A が私たちと暮らしていた間に彼女は家族の一員になりました。みんな彼女を好きになり、私の猫ですら毎朝彼女の部屋へ行きました。A が行ってしまってからも私たちは友達でいると信じています。
ラピンスカヤ家 (ノヴォシビルスク)
ホームステイをした学生:M. K.
ホームステイを受け入れた学生:ナターシャ・ラピンスカヤ
ホームステイをして

ナターシャは情熱的な人だ。ナターシャといえば赤色と音楽を思い浮かべる。音楽の話になると話題は尽きなかった。私はナターシャの家ではなく彼女の祖父母の家にステイした。おばあさんもおじいさんも温かく迎えてくれた。夜になったら皆でゲームをしたりお話をしたり寝るのが惜しいほど楽しかった。私たちはいつも夜遅く帰ってきたため、おばあさんとおじいさんと一緒にいる時間が短かった。だからファミリーデイに皆で別荘に行ったことは忘れがたい思い出だ。皮から皆で水餃子を作ったり、別荘を探検したり、もぎたての果物を食べたり今まで経験したロシアとは違うロシアを知ることができた。
ナターシャの家には約 10 日間もいたのでいつしかそれが当たり前になっていて日本に帰ることがなんだか不思議だった。ナターシャはとても親身に私の面倒をみてくれたし、おじいさんもおばあさんも私を家族の様に扱ってくれた。ナターシャのママは夜も明けない早朝にもかかわらず空港まで車で連れて行ってくれた。皆がいたから私はノヴォシビルスクで最高の日々を送れたのだと確信している。家族の誰一人が欠けても私はこんな素敵な日々を過ごすことができなかったと思う。
ホームステイを受け入れて
私の名前はラピンスカヤ・ナタシャです。この 10 日間私は M と一緒に住みました。M は別の部屋で住みました。朝から夕方まで面白くて大きいプログラムがありました。毎日私たちは 8 時くらいに起きました。朝食の後で私たちは色々な見学に行きました。色々な料理店で昼食しました。もし、プログラムの後でひまがあったらみんな散歩しました。例えば海へ行ったりおみやげを買ったりしました。22 時くらいに家へ帰りました。夕食の後で私たちはゲームをしたりテレビを見たり色々な話題について話しました。