オンライン報告書 - 2004 年訪日企画 - ホームステイ感想
オーリャ・ジティヒナ (ノヴォシビルスク)
受け入れた学生: A. F.
ホームステイをして
さあ、やっと日本に着きました。しかも友達と一緒です。やっと東洋の色合いを帯びた日本の美しさ、綺麗さ、生活のすべてを目にするのです。一般に旅行とは、いつでも面白いものですが、いつでもお金のかかるものです。しかしホームステイプログラムは、ロシア人学生にとって、日本のような素晴らしい国を小額のお金で見るユニークな機会です。
私はとても良い家族の下に暮らしました。家族みんなが、特におばあさんが私のことを気遣ってくれました。外国から人を受け入れることは、面白いとか、珍しいとかいうよりも、まず第一に大変なことですから。ステイに来る人に何を準備すべきか、その人と何を話すべきかなどがわかりません。その人は漸進的な緊張状態に置かれることでしょう。
A は、私の意見では、私に対してやさしい心配りをする親切な人でした。彼はできる限りがんばっていました。私たちは、よく気が合っていたと思います。
プログラムとディスカッションについて。
私の意見では、プログラムは十分に密度が濃く、面白いものでした。毎日疲れたにも関わらず、その日は無駄に過ぎたのではないという気持ちと共に眠りにつきました。
ディスカッションもなかなか感じが良く、有益でしたし、色々な問題をロシアと日本の二通りの観点で見るのは興味深いことでした。でも、正直に言うとロシア人と日本人の友達のグループで、缶ビールを片手に夜を過ごしたことの方がずっと楽しかったです。
最も興味深かったディスカッションは、最初の外国語に関するものです。最も楽しかった日は、浅草を散策し、その後船に乗った日と、鎌倉に行った日でした。
ホームステイを受け入れて
初めて家族にホームステイのことを話した時、家族はあまり賛成できないという態度を示していたのを思い出す。私は昨年の訪ロ企画には参加していないし、幹事にもなっているので今回は積極的に企画に関わりたかった。そのためにはホームステイを受け入れた方がより有意義な経験ができると考えたのだ。何とか家族を説得してホームステイを了承させたものの、正直何もかも初めてのことであったので家族の不安は相当のものだったのではないだろうか。
我が家にステイしたオーリャは、物知りで賢くて、話をしていて飽きない女性だった。その日本語能力もたいしたもので、積極的に家族とも言葉を交わしていたと思う。また我が家は六人家族なので、賑やかな拡大家族の良さも知ってもらえたのではないだろうか。普段はわりと無口な父も、おそらく内心では緊張や不安があったかもしれないが、よく言葉を発していたと思う。ただ、日本人の習慣などを説明する時は私も家族も苦労したので、もう少し前もって準備をしておいたら良かったと思う。
食事に関しては、特に好き嫌いは無いとオーリャが言っていたが、納豆を食べることができたのは驚きだった。全般的にオーリャは家では少食だった気がするが、企画でどこかに出かけた時はその分様々な食べ物に挑戦していたようなので良かったと思う。
スケジュール後に遊びに行くにしても、家が郊外にあるために、私たちは他の友達よりも早く帰宅しなくてはならなかった。その度にオーリャに、「もう時間だから、帰らなくちゃ」と伝えるのは辛いことだった。もっと遊びたかったに違いないが、文句も言わずに理解・協力を示してくれた彼女に感謝したいと思う。どうもありがとう。
訪日企画中を通して、朝早くから電車に揺られ、また帰宅もほぼ毎日夜遅くだったので移動時間が非常に長かった。その代わりその長い移動時間のうちに、私たちは本当に様々なことについて話をした。(もちろん睡眠を取ったこともあったが・・) お互いの日常生活や興味のこと、言語や文学のこと、将来や恋愛についてなど、挙げればきりがない。中には難しい内容の話があって、お互いの言わんとするところを細かく理解するまでには至らなかったが、この訪日企画中にオーリャや他のロシア人学生と話したことは大変貴重であり新鮮であった。
ロシア語の聞き取り能力が随分上がった (気がした) し、普段の学習ではなかなか得ることの難しい情報や、いわゆる若者言葉のような辞書には載っていないロシア語などの知識も得ることができた。彼女たちとの会話の中で覚えたり教わったりした言葉は、通常の学習よりずっと記憶に留まっていると感じたのは私だけではないはずだ。
家での過ごし方に限って言えば、既述のように朝は早くに家を出て夜は遅くに帰宅して、家に着いてからは寝るだけというような日も多かった。そのことを考えるともっとオーリャに家族と話をさせたかったし、家族にももっとオーリャと話をさせたかった。とは言うもののこのホームステイ期間は私にとっても家族にとっても非常に貴重で有益であったし、多くのことを学んだ。
もちろん楽しいことばかりではなく、時には苦しいこともあったと思う。しかし今回のホームステイはロシア語やロシアに対する自らの意識に、今後プラスに作用する強烈な衝動を与えてくれたのみならず、家族という最も身近な存在に、ロシアについて少しでも考え意識してもらうための絶好の機会になったことは言うまでも無い。
家族より
6 人家族の我が家にオーリャが来てくれたのは、今までになく蒸し暑い 8 月のことでした。早いものであれからもう 1 ヶ月になります。車で駅まで迎えに行く時からどんな子かしらと一人で興奮気味でした。外国人と話した経験などほぼ無いに等しい私には、不安な気持ちもありましたが、オーリャは明るく素直な、話しやすい子でした。
彼女は驚くほど日本語が上手でしたので、日常の会話もまったく不自由せず過ごすことができました。私が仕事で家を空けている時でも、祖母ともよく話していたので家族皆と交流できて本当に良かったです。しかし、ロシア語で話している息子と彼女を見て、自分も少しでもロシア語を話せたら良かったのに、と思うこともありました。
礼儀正しく勤勉で飲み込みの早い彼女は、好奇心も旺盛でしたし、色々な質問をされて、返事に戸惑うこともしばしばありました。住まいが郊外にあるため交通も不便であり、朝早くから夜遅くまでのスケジュールも、ハードでとても大変だったと思います。幾分辛そうでしたが、「ダイジョウブ、ダイジョウブ」と何とか笑顔で乗り切ることができたのは、やはり若さの特権でしょう。
毎日忙しい日本人に比べ、オーリャの性格はとてもおおらかでのんびりしていましたので、少し見習わなくてはなりませんね。ある時オーリャが聞かせてくれた、バイカル湖の澄んだ水のような歌声はしっかりと耳に残っています。もっと時間があったなら、お話もしたかったし、お料理も一緒に作りたかったのですが・・。
オーリャが帰国してからは、無事に帰れたかどうか、今頃はどうしているかと、家族で彼女のことばかり話していました。彼女が教えてくれた、出会い・両親・恋愛への三つの乾杯を忘れません。遠い日本からオーリャの健康と幸せを祈っています。そしてまたいつか会えたら、と願っています。(母)