オンライン報告書 - 2001 年 訪ロ企画 - 交流企画

カルプコワ家

ステイをした学生 : Y. K
受け入れ学生 : イリーナ・カルプコワ (イーラ)

ホームステイをして

イーラの家庭はごく一般的なロシア人の家庭で、私はここでホームステイを満喫するとともに、ロシアについてさまざまな認識を深めることができました。ノボシビルスクでの滞在は期間も長く、計画もゆとりのあるものだったので、イーラ本人だけでなくイーラの家庭とも親交を深めることができました。

彼らは驚くほど親切で、私が熱を出したときなどはお母さんとイーラで水を熱して浴槽にお湯をためてくれました (この時期はシャワーからは水しか出なかったので)。その時お父さんは「俺は風邪を引いたらウォッカを飲んで治す」と言っていましたが、彼はとてもお酒に弱い人でした。私がやってきた最初の晩から別れる最後の晩まで、ほぼ毎日お酒を飲みましたが、酔っ払っていたのはいつもお父さんだけでした。酔うと電話をかけるという変わった癖があって、この癖が出るとイーラは自身のことのように恥ずかしそうでしたが、お母さんや妹はとても楽しそうで、この家族の仲がよいことが分かりました。私が日本酒をお土産に渡したときなども、「ウォッカほど強くはない」とやけに納得していましたが、確実に酔っ払っていました。

私はお父さんが大好きになり、ロシア語が話せないにもかかわらず随分と多くのことを話したように思います。お父さんのほうでも、よく夜中にイーラと話しているときなどに部屋にやってきて話しかけてくれました。お父さんと一緒に近くのバーニャへ行ったことはとても良い思い出です。

最後の別れの日、家を出ようという時になって、イーラが「ロシア人には家を出る前に椅子に座る習慣があります」と言って、みんなで 30 秒ほど黙って椅子に座りました。それはチェーホフの「桜の園」で見かけた光景でしたが、最後の最後まで私には勉強になることばかりでした。明日にはもうロシアから離れているという残念な気持ちがあると同時に、これほど素敵な家族と別れるのはつらいことでした。私は恩を受けるばかりで、何もしてあげられませんでしたから。

空港へと行く途中の車の中で、何回も通った大きな通りの入口に差しかかった時、運転しているお父さんが「ここからノボシビルスクの街は始まるのだ」と言いました。その言葉からはこの街やそこに住む人々を忘れるなという思いが痛いほど伝わってきて、私はできるだけ記憶にとどめるため、窓の外の光景をずっと見つめていました。お酒に弱い人だったので涙にも弱いんじゃないかと変な心配もしてしまいました。空港ではお母さんも目を真っ赤にし、イーラは号泣していました。私はロシアの家族と、日本の家族よりも仲良くなりました。

ホームステイを受け入れて

私にとって、今年の夏のホームステイというプログラムは初めてです。よかったね。こういうプログラムの目的は2つあります。1つは日本の学生と話しながら当面の問題や政治情勢など、いろいろな日本とロシアの問題が審議できます。それから他方、私たちはみんなでいい友達になったので、喜んで一緒に遊んだり何かについてしゃべったりすることともできます。

普通、ホームステイのようなプログラムは利点もあるし、欠点もありますが、私の考えでは、ホームステイは、利点しかないと思っています。例えば、もし日本の学生と話したら、他の国の文化を分かるようになって、とても大切です。日ロの掛け橋を丈夫にするつもりですから。

実は、討論会のとき大切な現代の問題はよく審議されたと思います。最初に、携帯電話とかコンピュータについて話したとき、日本と違って、ロシアはまだ新しいテクノロジーを広げないで、科学の成果を生産に導入するそうです。全体に、社会的な間柄もテクノロジーの進歩に関係があるでしょう。

それから、日本とロシアの学生はみんな、同じ年なので、興味のあるものはよく似ています。こういう訳で、日ロの文化はだいぶ違っても、話しているとき、自分の感じを表しやすいでしょう。

最後に、ホームステイプログラムは日本語とロシア語の実習のためにとても大切です。もし長い間、外国語だけで話せば、簡単な会話も複雑な会話も聞き取れるようになります。けれどもホームステイプログラムで一番大切なのは、新しくていい友達を紹介されたことです。普通、ロシアの有名なことわざのように、「100 枚ルーブルと 100 人の友達とは、友達の方がより必要だ」そうです。(※本人の日本語原文を一部修正)