交流都市紹介

ノヴォシビルスク

ノヴォシビルスクは現在、ロシア国内の人口において、モスクワ、サンクト・ペテルブルク、ニージニーノヴゴロドについで 4 番目の都市で、ウラル山脈の東方に広がる西シベリア低地の南東、ロシアの地理的な中心に位置する。シベリア鉄道のおよそ中間地点でもあり、その歴史は 1893 年に開始されたシベリア鉄道のオビ川鉄橋工事から始まる。1917 年の革命以降は近代的な工業都市へと発展し、現在は人口約 130 万人のシベリアで最大の都市となった。

シベリア鉄道から中央アジアへと向かうトルクシプ鉄道により、街には中央アジア系の人も多く、野菜や果物も豊富である。地下鉄・路面電車・トロリーバス・バス・相乗りタクシー (マルシュルートカ) 等、市内移動の交通は便利である。

ノヴォシビルスクはシベリアの頭脳とも呼ばれるほど教育の水準が高く、アカデムガラドク (学術市) と呼ばれる 1963 年に創られた都市には、ロシア最先端の様々な分野の研究所が集中している。ノヴォシビルスク国立大学もまた、市の中心部から数 10 キロ離れたアカデムゴロドクの中に位置する、周囲を森に囲まれた 1963 年創立のロシア国内屈指のレベルを誇る総合大学である。

ノヴォシビルスク国立大学の日本クラブと私たちの会は 1995 年の夏から定期的に交流を続けており、今回で通算 12 回目となる。1997 年までは年に 2 回の交流を行ってきたが、1998 年からは毎年、夏休みに 1 回、訪日と訪ロを毎年交互に行っている。

国立ノヴォシビルスク大学東洋クラブの紹介

1993 年に人文学部に創立された日本クラブは今、日本文化と日本語に興味を持っている学生で成り立っています。東洋学部の人だけではなく、他の学部や大学の若者もクラブの活動に参加します。主な目的は日本とロシアの間の相互理解と友好を深め、会話能力を高めることです。

日本クラブのメンバーは日本社会に関係あることを研究したり、文通をしたりして、実際に日本の若者と付き合います。その他、一般の学生の間に日本文化を普及するために毎年「日本文化のパーティー」や「祭」を行います。東京の「日本ロシア学生交流会」と協力しますので、毎年学生交流のプログラムを果たします。

このような活動が隣の国との関係の発展に寄与することを期待します。どうぞよろしくお願いいたします。

マルガリータ・モロケイエヴァ

リャザン

リャザンは、首都モスクワから約 196 キロ南東に位置し、人口は約 53 万人。モスクワからは車で 2、3 時間。列車も頻繁に出ており、首都との人の行き来は頻繁なようだ。日本ではあまり名は知られていないが、国内ではプーシキンにも劣らぬ人気の、国民的詩人セルゲイ・エセーニンの生まれた所として有名だ。

リャザンという地名の語源には、現在 2 つ説がある。ロシア語の「リャサ」 (湿地) という意味と、モルドヴァ共和国のフィン族の言葉「エルジャ」からの起源である。こうした説からも一見できるように、ここは昔からアキ川とトゥルベジュ川の交流地点で、運河を中心に商業都市として非常に栄えていた場所であった。

歴史的遺産も多く、考古学的価値の高いものも数多く発掘されているが、リャザンという場所が出てくる最も古い文献は 1095 年のものが最初とされている。その後、1237 年、リャザンはタタールの侵攻をうけ、現在は「古いリャザン」と呼ばれる場所から動くことになる。そして、現在のリャザンの場所で 1301 年から商業・貿易の中心としての発展を始め、14、5 世紀には街は職人技術の発達でより一層賑わうことになる。

その後も発展を続けたこの都市は、名立たる有名人も数多く輩出しており、先述したエセーニンをはじめ、科学者として有名なパブロフもリャザンの出身である。政治家・文学者として有名なソルジェニーチンもこの土地で教鞭を執ったことがあり、彼らの住居等が博物館として公開されている。

リャザン国立教育大学の説明

近年交流がスタートしたリャザン国立教育大学は、5 年前から日本語教育に取り組み始めた。対象は英語学科の学生で、第 2、第 3 外国語としての授業を開始した。今年の夏にその日本語履修第 1 期生が卒業したばかりである。現在では日本人教師も 3 人になり、そしてまた夏に卒業した半数が大学に残り、この秋から日本語・日本文化の講師として働いている。

このように急速に日本語教育への体制を整えつつある中、今年 9 月にはついに日本語学科が創設された。初年度の入学生は 7 名であるが、今後日本語教育のさらなる発展を願うとともに、日ロ双方の学生交流も深めていきたい。